宇奈月温泉

宇奈月温泉はお肌がよろこぶつべつべ美肌の湯

宇奈月温泉のお湯は無色透明のお肌にやさしい弱アルカリ性単純泉「美肌の湯」。
富山国際大学の本多宗高先生の分析で、美肌の湯としての条件がそろう優れた泉質であることが科学的に証明されました。

お肌にうれしい4つの特徴
お肌に優しい弱アルカリ性 泉質は単純温泉。刺激が少ない弱アルカリ性。
デトックス効果 老廃物が排出をうながす炭酸ガスが含まれています。
イオンのうるおい 最適なイオンバランスで保湿効果があります。
ミネラルのリラックス 豊富なミネラル成分がお肌に染み込んでストレスを解消します。

泉質ついて

泉質 単純温泉 源泉の色 無色透明
概要 源泉は黒部川上流にある黒薙温泉からの引湯。源泉段階で87.8度と非常に高温で、湯量が豊富。含有成分量が少ないことにより、刺激が少なく肌にやさしい泉質です。

歴史 宇奈月温泉について

黒部川電源開発の歴史とともに大正・昭和・平安の時代を歩んできた宇奈月温泉。温泉のぬくもりはきびしい自然との戦いの中から生まれました。 イメージ

「峡谷(きょうこく)」と「渓谷(けいこく)」の違い

黒部川は川全体の8割が深い山地をえぐりながら流れ、「黒部峡谷」と呼ばれています。
では、「峡谷」と「渓谷」の違いとはなんでしょうか?
「渓谷」は、深くて急峻な側壁をもった谷。
「峡谷」とは、「渓谷」の幅と比較すると、さらに狭くて、両岸が険しいがけになっている谷、深いV字の谷のことをいいます。
「黒部峡谷」には、このような急峻な山岳地帯を舞台にして、壮絶とも言える水力電源開発工事が行なわれてきた歴史があります。

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宇奈月温泉の歴史

宇奈月温泉有史以前 黒部峡谷には、藩政時代(1600年代)から多くの温泉(たとえば鐘釣温泉、黒薙温泉、祖母谷温泉)などがあることは知られていました。
しかしこれらは人跡未踏の原始林に囲まれ、道らしい道もなく、森林を見まわる一部の役人だけにしか知られていなかったのです。
やがて大正中期以降、黒部川の電源開発が進められるようになって、それらの関係者によって利用されはじめました。これがきっかけとなって、宇奈月温泉の歴史の一頁が開かれたのです。

宇奈月温泉略年表

1923年(大正12年)
黒部鉄道(現在の富山地方鉄道)が宇奈月まで開通。 宇奈月温泉引湯線完成。 大正10年頃、「むき出しの木桶ではなく水圧のかかる竹筒のようなもので引けば湯温の低下を防げるのでは?」と考えのもと、細い木管を利用してこの年の11月に敷設を終了。11月下旬のある日黒薙の湯元のバルブが開かれました。おおよそ一時間ほどして、チョロチョロと出てきたのは水・・・。しかし、数時間後には管から熱湯がほとばしり、皆がはしゃぎまわったといわれています。
1927年(昭和2年)
宇奈月スキー場が開かれる。
1934年(昭和9年)
黒部峡谷も中部山岳国立公園に指定。
1935年(昭和10年)
大審院が、土地所有者による引湯管(木管)の撤去請求は権利濫用であるとの判決を下す。これがいわゆる「宇奈月温泉木管事件」判決で、権利の濫用についての日本で初めての判例として知られています。現在、事件の現場には記念の碑が建てられます。
1946年(昭和21年)
全戸全焼(宇奈月大火) 戦争などの大きな社会変化の中にも、この年には350余戸の旅館と商店などが建ち並び今後の発展が期待されるには十分な条件が揃いはじめていました。ところが不幸にも5月21日、共同浴場前の飛鳥組作業場付近から出火、折からの春の陽気と5mの西風にあおられ、たちまち火は勢いを強め、平和な温泉郷は猛火に包まれました。わずか3時間余りのうち全戸数349戸の殆どが焼失。村民は失望のどん底に落ち込みましたが日本発送電株式会社黒部川支社長小川高見氏が、当時としては巨額の1千万円を復興費として準備。また当時の徳宣村長は村有林の払い下げなどの処理を臨機応変にとるなど、復興に全力が注がれ、再建の槌音が響き始めました。
1953年(昭和28年)
宇奈月〜欅平間20kmの鉄道営業が開始。
1956年(昭和31年)
7月、黒部川第四発電所の建設に着手。
1958年(昭和33年)
黒四建設工事における最大の難関であった破砕帯を突破し黒四発電所大町ルートが貫通。黒部ダムならびに発電所の建設が急ピッチに進行。
1963年(昭和38年)
黒部川第四発電所(当時の出力252,000KW)が竣工。そのなみはずれた工事の困難さとスケールの大きさは世界的に有名です。 宇奈月公園に昭和天皇陛下の歌碑ができる。 昭和33年の昭和天皇皇后陛下が御来遊になり御製を次のように残されました。
「紅に染め始めたる山あひを 流るる水の清くもあるかな」
これを永く記念し、お歌碑を宇奈月公園内に建立し開湯40周年の記念事業としました。
1964年(昭和39年)
温泉会館できる。 地区住民の公衆浴場と町民の憩いの場として建設。
1967年(昭和42年)
想影橋できる。 宇奈月温泉街対岸の発展策として、鉄筋コンクリートのアート橋ができる。黒部川本流にかかる橋で温泉街及び連山を背景とする景勝地です。
1968年(昭和43年)
欅平駅者できる。
1969年(昭和44年)
第20回全国植樹祭、昭和天皇皇后両陛下ご来町。両陛下宇奈月温泉にご一泊。
1971年(昭和46年)
立山黒部アルペンルート開通。
1973年(昭和48年)
宇奈月温泉駅前広場に温泉噴水ができる。 駅に降りたった旅客に温泉気分を味わっていただこうと駅前に黒薙の源泉から送湯されてきたばかりの温泉を噴出させています。これは当温泉の湯量の豊富さをシンボライズするものです。 黒部峡谷鉄道宇奈月温泉駅舎竣工。
1979年(昭和54年)
宇奈月温泉測定所より黒薙泉源間6,710m全線に亘る引湯管合成パイプ化完成。
1982年(昭和57年)
富山地方鉄道宇奈月温泉駅舎竣工。 平和の像完成。, 黒部川の永却の安らぎと社会の安泰を願って音沢出身の彫刻家、佐々木大樹先生の制作による大観世音像の原型をもとに、スキー場の最上に製作されました 。ブロンズ像の高さ12.7m、台座7.4m、土台1.7m、全長21.8m。
1983年(昭和58年)
建設省宇奈月ダム着工。 宇奈月薬師寺(桃原山薬師寺)の霊泉堂を建立し黒部観光開発(株)、黒部ライオンズクラブ、宇奈月温泉旅館共同組合、宇奈月自治振興会の奉賛により霊泉堂に宇奈月温泉を引湯として「お湯掛け薬師」として供養されています。
1986年(昭和61年)
ブロンズ像のある街づくりとして平和の像を中心に、温泉街に18本のブロンズ像が設置されました。(11月)
1992年(平成4年)
黒部峡谷鉄道宇奈月駅舎が完成 越中おわら宇奈月編開催、全国的に有名な「おわら」を、宇奈月温泉で満喫できるイベントが温泉街で始まりました。(8月)
1993年(平成5年)
想影展望台完成。 宇奈月国際会館「セレナ」・セレナ美術館、完成。 文化と浪漫の香り漂わせた大自然の息吹を取り込んだユニークな設計。国際会議をはじめあらゆるイベントに対応できる最新のシステムを持つコンベンションホール。また2階のセレナ美術館では、常時展示と特別展示を開催しています。(8月)

※参考 黒部峡谷 宇奈月温泉 公式サイト