宇奈月温泉について
UNAZUKI HOT SPRING
宇奈月温泉は2023年で開湯100周年を迎えました。
宇奈月温泉のお湯は無色透明のお肌にやさしい弱アルカリ性単純泉「美肌の湯」。
富山国際大学の分析で、美肌の湯としての条件がそろう優れた泉質であることが証明されました。
黒部川電源開発の歴史とともに歩んできた宇奈月温泉。
お肌にうれしい四つの特徴
その一、 お肌に優しい弱アルカリ性
泉質は単純温泉。刺激が少ない弱アルカリ性。
その二、 デトックス効果
老廃物が排出をうながす炭酸ガスが含まれています。
その三、イオンのうるおい
最適なイオンバランスで保湿効果があります。
その四、 ミネラルのリラックス
豊富なミネラル成分がお肌に染み込んでストレスを解消します。
泉質について
泉質 | 単純温泉 |
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源泉の色 | 無色透明 |
概要 | 源泉は黒部川上流にある黒薙温泉からの引湯。源泉段階で87.8度と非常に高温で、湯量が豊富。 含有成分量が少ないことにより、刺激が少なく肌にやさしい泉質です。 |
宇奈月温泉の歴史
黒部川電源開発の歴史とともに大正・昭和・平成を歩んできた宇奈月温泉。
温泉のぬくもりはきびしい自然との闘いの中から生まれました。
川全体の8割は深い山地を縫うように流れ、深く険しいV字形の峡谷が続く「黒部峡谷」と呼ばれています。
では、「峡谷」と「渓谷」の違いとはなんでしょうか?
「渓谷」は、深くて急峻な側壁をもった谷。
「峡谷」とは、「渓谷」の幅と比較すると、さらに狭くて、両岸が険しいがけになっている谷、深いV字の谷のことをいいます。
「黒部峡谷」には、このような急峻な山岳地帯を舞台にして、壮絶とも言える水力電源開発工事が行なわれてきた歴史があります。
黒部峡谷には、藩政時代(1600年代)から多くの温泉(たとえば鐘釣温泉、黒薙温泉、祖母谷温泉)などがあることは知られていました。
しかしこれらは人跡未踏の原始林に囲まれ、道らしい道もなく、森林を見まわる一部の役人だけにしか知られていなかったのです。
やがて大正中期以降、黒部川の電源開発が進められるようになって、それらの関係者によって利用されはじめました。これがきっかけとなって、宇奈月温泉の歴史の一頁が開かれたのです。
宇奈月温泉略年表
- 1923年(大正12年)
- 黒部鉄道(現在の富山地方鉄道)が宇奈月まで開通。
宇奈月温泉引湯線完成。
大正10年頃、「むき出しの木桶ではなく水圧のかかる竹筒のようなもので引けば湯温の低下を防げるのでは?」と考えのもと、細い木管を利用してこの年の11月に敷設を終了。11月下旬のある日黒薙の湯元のバルブが開かれました。おおよそ一時間ほどして、チョロチョロと出てきたのは水・・・。しかし、数時間後には管から熱湯がほとばしり、皆がはしゃぎまわったといわれています。 - 1927年(昭和2年)
- 宇奈月スキー場が開かれる。
- 1934年(昭和9年)
- 黒部峡谷も中部山岳国立公園に指定。
- 1935年(昭和10年)
- 大審院が、土地所有者による引湯管(木管)の撤去請求は権利濫用であるとの判決を下す。
これがいわゆる「宇奈月温泉木管事件」判決で、権利の濫用についての日本で初めての判例として知られています。現在、事件の現場には記念の碑が建てられます。 - 1946年(昭和21年)
- 全戶全焼(宇奈月大火)
戦争などの大きな社会変化の中にも、この年には350 余戶の旅館と商店などが建ち並び今後の発展が期待されるには十分な条件が揃いはじめていました。ところが不幸にも5月21日、共同浴場前の飛鳥組作業場付近から出火、折からの春の陽気と5mの⻄風にあおられ、たちまち火は勢いを強め、平和な温泉郷は猛火に包まれました。わずか3時間余りのうち全戶数349戶の殆どが焼失。村⺠は失望のどん底に落ち込みましたが日本発送 電株式会社黒部川 支社⻑小川高見氏が、当時としては巨額の1千万円を復興費として準備。また当時の徳宣村⻑は村有林の払い下げなどの処理を臨機応変にとるなど、復興に全力が注がれ、再建の槌音が響き始めました。 - 1953年(昭和28年)
- 宇奈月〜欅平間20kmの鉄道営業が開始。
- 1956年(昭和31年)
- 7月、黒部川第四発電所の建設に着手。
- 1958年(昭和33年)
- 黒四建設工事における最大の難関であった破砕帯を突破し黒四発電所大町ルートが貫通。黒部ダムならびに発電所の建設が急ピッチに進行。
- 1963年(昭和38年)
- 黒部川第四発電所(当時の出力252,000KW)が竣工。
そのなみはずれた工事の困難さとスケールの大きさは世界的に有名です。
宇奈月公園に昭和天皇陛下の歌碑ができる。
昭和33年の昭和天皇皇后陛下が御来遊になり御製を次のように残されました。
「紅に染め始めたる山あひを 流るる水の清くもあるかな」
これを永く記念し、お歌碑を宇奈月公園内に建立し開湯40周年の記念事業としました。